2026年2月 ドイツにおける移民受け入れの歴史②(続編) 〜「ゲストワーカー」と「契約労働者」〜
2026/02/05(木)
新美さん
前回の投稿では、ドナーケバブというドイツで人気の食べ物を切り口に、トルコをはじめとする国々から受け入れられていたゲストワーカー(ガストアルバイター)について触れました。今回は、その歴史についてもう少し詳しくご紹介します。
ドイツの「ゲストワーカー(ガストアルバイター)」は、日本でも知られている言葉ではないでしょうか。ですが、これが西ドイツに受け入れられていた労働者のことを指すことはあまり知られていないかもしれません。1989年のベルリンの壁崩壊まで、ドイツは社会主義国家のドイツ民主共和国(東ドイツ)と資本主義、民主主義ドイツ連邦共和国(西ドイツ)に分かれていました。「ゲストワーカー(ガストアルバイター)」というのは、西ドイツが、労働力不足を補うために1950年代から一時的に受け入れた労働者のことを指します。この労働者たちは、イタリアをはじめとする近隣の国々や韓国から受け入れられました。短期間のみの労働契約で、その契約が終わるとまた別の人が交代でくるというように、ローテーション方式で受け入れられていました。
「ゲストワーカー(ガストアルバイター)」という言葉からは、「お客さま」として良い待遇を受けていたようにも捉えられるかもしれませんが、実際は、「ゲストワーカー(ガストアルバイター)」は、ドイツ生まれの人に人気のない低賃金の仕事(重工業、建設業)を担っていました。移住労働者がその仕事を担うことで、自動的にドイツ生まれの労働者はよりよい地位に昇進できました。このようにして、仕事の労働条件・労働環境が改善されないまま、ドイツ生まれの労働者と移住労働者との間では格差が生まれてしまいました。
清掃業や飲食業、繊維産業、食品加工など一般的に女性の労働者が多く就く産業でも人手が必要にようになってからは、妻や家族の呼び寄せが可能になりました。このようにして、「ゲストワーカー(ガストアルバイター)」は、次第に一時的なゲストから長期的な定住者になっていきました。
移住労働者というと「ゲストワーカー(ガストアルバイター)」というイメージがありますが、東ドイツでも、多くの人が西ドイツに逃れるなど人手が不足していたことから、1960年代から「契約労働者」という形で移住労働者を受け入れていました。この「契約労働者」は、アルジェリア、アンゴラ、中国、キューバ、モンゴル、モザンビーク、ハンガリー、ベトナムなど、当時の社会主義諸国(あるいは社会主義諸国と緊密な諸国)から来ていました。「契約労働者」の多くは、ドイツ社会から隔離された空間で生活していました。東ドイツ政府は、2年から5年間と厳格に滞在期間が制限されていた「契約労働者」たちとドイツ国民との接触がないようにしていたとされます。家族の呼び寄せは原則として禁止され、妊娠した女性は国外退去の脅威にさらされました。また、東ドイツの「契約労働者」たちは、1989年のベルリンの壁崩壊によって、ドイツでの法的な立場が脅かされ、多くが職を失いました。ベトナム人女性は、その約半数が職を失ったとされています。多くが帰国しましたが、ドイツに残った人々は、自分たちが西ドイツの移住労働者と同等な扱いをされるようになったのは1997年と最近です。ドイツで暮らすベトナム人移民の多くがレストラン、花屋、美容サロンなど自営業を営んでいるのは、彼ら彼女らがこのような状況への対応戦略として自営業を選んだという背景があります。